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保護犬よもやま話 1
BLOGかつては我が家の愛犬も保護犬だった時代がありました。そんな保護犬1号がこちら
見た目から何の疑問もなく「フラットコーテットレトリーバー」だと思っていましたが、もしかすると「限りなくフラットに近いナニカ」だったのかもしれません。
今から10年前、動物管理センターではまだ保護期限を過ぎた犬猫を殺処分していた時代、「命を救っていただいてありがとうございます!」と言わんばかりに、家に来たその日からコヤツは「私の犬」になった。
引き取る直前に愛犬のフラットを亡くしたばかりだったので、保護はしたけれどしつけをほどこしてどなたかに譲渡しようと思ったのに、犬の方で「俺の主人はこいつ」と決めてかかっていたように思います。
傍にいる限りはおとなしく、基本的に行儀のいい犬でしたが、ほどなく結構なレベルの「分離不安症」であることが判明、不在時の吠え、精神不安になったときの吠えに、推定11歳で亡くなるまで、悩まされました。
引き取って一番困ったのは、25kgを超える大型犬でありながら、散歩のしつけがま~~~~~~~~~ったくできていない!!とにかく引っ張る、全力で引っ張る、「散歩とは飼い主を全力で引きながら、まっしぐらに突き進むもの」という信念があるらしく、チェーンカラーによるショックも駄目、スパイクカラーも駄目。訓練学校でシェパード相手に学んだテクニック(?!)も役に立たず・・・
結局、日本に入ってきて歴史の浅い「ジェントルリーダー」が唯一ヤツを正常な速度で散歩をさせられる道具であることがわかり、生涯「ヘッドカラー」のお世話になった。ボールを投げれば「他犬に負けたら死ぬ」という勢いで突進し、素振りをしている野球少年のバットを狙って(取り上げたいらしい)とびかかり、オスワリもフセも、「最後の一言が言い終わらないうちに実行!」という激しさで、伏せたり、座ったりのまあ、早い事・・・
とにかくやることなすこと「猛烈」な犬でしたが、他犬、他人を受け入れる心は太平洋並みに広く、どんな攻撃的な犬でも、臆病な犬でも、「当たり前の存在」として受け入れる度量を持ってもいました。
亡くなる直前まで、子犬とは遊んでやり、犬嫌いの犬には散歩の同伴犬として穏やかに接し、攻撃的な犬にも「おれにはそんな態度は通用しない」と、喧嘩をすることなく毅然と受け入れてくれ、ドッグスクールの犬として役だってくれました。今まで飼った犬の中では一番の忠犬でしたが、その犬の主人になるかどうかは、人間ではなく、犬が決めているのかもしれません。
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